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ルルのエッセイ


by rurucafe

一つの判決

山口県の母娘殺人事件の報道を見た。
この事件は知っている人も多いと思うし、厳しい口調と毅然とした態度の被害者の遺族である本村さんの姿は何度もテレビで放映されている。

「加害者は死刑をもって罪を償うべき」

この言葉の重さを思う。人の死の悲しみを知る人間が、その「死」を他人に望む気持ち。とても傲慢な気もしたし、小説やドラマなどでえぐい復讐劇を描いたものでも最後には「復讐のあとの虚しさ」を描くあたり、被害者が加害者に同じ思いを持って罪の意識を感じ取るべきという考えは乱暴に思えるふしもある。
加害者にももちろん家族がいる。その家族は罪の重さを感じる一方で、自分の息子を失うことは大変辛いに違いない。それは息子が罪を犯して、それを償うべき立場にあることを十分に理解した上でも、我が子を失う悲しみは当然にしてあるように思う。

それを願う人がいるという事実。
人が人の死を望む現実。
これがむごい犯罪の末に殺された、被害者を思う遺族の切なる願いだとしたら、犯罪は本当に残酷なものだ。事実本村さんは、それまでの人生を大きく変えられてしまった。幸せを望む23歳の青年の願いは一人の少年によってむごくも潰されてしまった。

それから7年間、本村さんは自分の言葉で司法や社会が変わるならと闘ってきた。その態度たるや、本当に毅然として揺るぎない。まっすぐに前を見据えて語る姿勢は、見ているものの気持ちを惹き付ける。
被害者の権利が守られない現実。加害者ばかりが守られる法律。

昔、「犯罪報道の犯罪」という本を読んだ。犯罪者を報道するものが、関係してはいるけれど犯罪者ではない、まわりの人間を執拗に追いつめている現実。それが野放しになっている現代を憂いているものだった。ぼんやりと見ているものの、実態を思い知った本だった。

被害者、加害者、そして、人権、人の命の尊厳。
様々なことを含めても、この問題は実に難しい。

本村さんは、この事件をきっかけに仕事や人間関係において得るものも多かったと語っている。その姿や視線には、自分にはこうやって人と出会いそこから学び、そして生きながらえる権利があるのだ、そこが犯罪者とは違うのだという主張がにじんでいるように感じた。

これからまた何年か、彼の戦いは続く。
by rurucafe | 2006-06-21 00:15